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山口組分裂からまもなく7年…神戸山口組の状況を一変させた「あの出来事」


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現在も使用が禁止されている山口組総本部

 それはもう7年前になる。2015年8月に、誰しもが耳を疑う衝撃が走った。国内最大組織、山口組が分裂したのである。同時に、六代目山口組体制に不満を持ち、袂を分かった勢力によって神戸山口組が誕生したのだ。これがいまなお続く、山口組の分裂問題の始まりとなる。

 しかも、それだけでなかった。その後には神戸山口組から、織田絆誠会長らの勢力が離脱。2017年4月30日に任俠団体山口組(のちに任侠山口組に改称。現在は絆會)を結成し、マスコミを集めての記者会見を行ったのだった。

 「山口組が大々的に記者会見するといえば、三代目時代にまで遡る。それだけに、任俠団体山口組の会見にはマスコミ関係者も大勢駆けつけ、彼らも自身の正当性をアピールできた。ただ新しいヤクザ組織が業界に根付き、存在感を示すためには、メディア戦略や社会へのインパクトよりも、最終的には暴力をバックボーンにした力を用いるしかない」(業界関係者)

 事実、任侠山口組が2度目の記者会見を行ったあと、同年9月12日に織田会長らが襲撃される事件が起こり、警護の組員が銃殺されることになる。それ以降、任侠山口組は目立った活動を控え、結果として最高幹部らの離脱が相次ぐことになってしまったのだった。

 そして、それは何も絆會だけのことだけではなかった。神戸山口組においても、「ある時」を境に組織の衰退が加速していくことになっていった。

 山口組の分裂問題を振り返るとき、多くの関係者らが口にするのは、六代目山口組の髙山清司若頭の存在だ。もしも髙山若頭が社会不在を余儀なくされていなければ、山口組は割れていなかった……というものだ。それほどまでに、六代目山口組において、髙山若頭の存在感は凄まじいほどの影響力を放っていたのである。

 その髙山若頭が2019年10月18日に府中刑務所より出所を果たし、戦線へと復帰することになった。これこそが、分水嶺になった「ある時」ともいえるだろう。

 「神戸山口組としては、髙山若頭が出所するまでに何らかの決着をつけておきたかったのではないでしょうか。それだけ髙山若頭の影響力、特に徹底的な武力行使を辞さない姿勢は脅威だったはず。それは業界関係者すべてが感じていることではないでしょうか」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)

 それから、わずか1カ月ほどの出来事だった。髙山若頭の出所した翌月の11月27日。神戸山口組の古川恵一幹部が兵庫県尼崎市内で射殺されたのだ。使用されたのはマシンガンであった。こうした六代目山口組の攻撃に対して、その後の神戸山口組は防戦一方となる。

 そして、ついには神戸山口組の中核組織、五代目山健組・中田浩司組長が逮捕されたかと思うと、20年には山健組が神戸山口組を離脱。その後、21年秋には六代目山口組へと復帰したのである。

 それは山健組だけではない。同じく神戸山口組の有力組織である二代目宅見組においても、組員が続々と六代目山口組へと帰還を果たし、入江禎・二代目宅見組組長が創設させた勝心連合までもが、六代目山口組の中枢である三代目弘道会系組織へと加入することになったのだ。

 「神戸山口組の発足当初、予想していなかった事態がここ数年、神戸山口組陣営を襲ったといえるだろう。まさか山健組までもが六代目山口組に復帰するとは誰も考えなかったはずだ。分裂問題は、弱体化したといえ神戸山口組が存在する限り、すっきりと解消したとはいえないかもしれない。だがもうすでに勝敗自体が決しているのは明白だ。ヤクザの掟である盃を返してまで起こした神戸山口組による分裂劇は、結果的に山口組だけでなく、業界全体に対する当局の弾圧を強めたに過ぎなかった」(某組織関係者)

 今後、神戸山口組の首脳陣や神戸山口組から離脱を果たした絆會の首脳陣らは、どのような対応を見せていくのか。果たして、分裂問題ははっきりとした解消を見せる日はやってくるのか。そんな中、現在、気になる情報が駆けめぐっているという――。

(後編に続く/文=山口組問題特別取材班)


●山口組問題特別取材班

ヤクザ業界をフィールドとする作家、ライターおよび編集者による取材チーム。2015年の山口組分裂騒動以降、同問題の長期的に取材してきた。共著に『相剋 山口組分裂・激動の365日』(サイゾー)がある。



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